アントロポゾフィーの学び
光があふれている窓辺が、とっても気持ちがいいですね。
オーブみたいな光の玉が、本当に肉眼で見えるみたいです。
ビーンズでたくさんの人たちと出会いそれぞれの学びや楽しみの場を一緒に体験させてもらっているので
この空間にはそんなよい“気”がとけこんでいるように感じています。
しあわせ( *´艸`)
ありがたやありがたや✧♡
そんな風に感じることができるのはアントロポゾフィーの学びを日常に感じているからなのかしら…と思っています。
この辺りではシュタイナーは幼児教育が主で、
もちろんそれはとっても素晴らしいのですが、
それ以降も 人生は続いています。
シュタイナーの学びは、人生のどの場面にも、その人にとって成長の機会をもたらしてくれています。
とっても苦しいことも つらいことも
とっても嬉しいことも 美しいことも
それは表裏一体で、自分自身の中に輝くものを自分自身で見つけていくことができます。
いつも 言葉にすると なんだか『たてまえ』のように聞こえてしまうのは
こういう言葉は世の中にあふれているから。
でも、「腹に落ちる」「腑に落ちる」体験をすると
その言葉自身の持つ力が、まるで全身を駆け巡っているような感覚で、感動して喜びで震えるような経験となります。
本当なんです。
もう、むつかしくて、本を読むだけで修行であるシュタイナーのアントロポゾフィー。
それでも、続けていくことで”日常の中で”それに気が付くことが
あるんです。
そこには私の真実がある。
心の中にともった炎が 一瞬 ボワッっと 火柱を立て
そしてまたいつもの炎に戻るように
私はその一瞬の ボワッとがやめられないんですねぇ(#^.^#)
先週末も バイオグラフィワークの学びの日々を送ってきました。
このコロナの中 奇跡的に リアルで
もちろんめっちゃ気を付けましたけどね(;^ω^)
どこにも行かず、ずーーーーーっと缶詰め状態
大好きなお店での食事も我慢して( ノД`)シクシク…
でも
また炎の柱を 感じられました。
今の時代は、大きく偉大な力を外に見てそれをあがめるのではなく
偉大な権力者や 導き手に委ねるのではなく
自分の中に それぞれの〝神”を持つ
宗教的に私は神の存在を理解していないので アントロポゾフィー的な解釈ですが
神…アントロポゾフィーでいう「キリスト」をそれぞれの胸い抱くことは
天界で、人間界に降りていったキリストがいないことに耐えていた天使たちが
まるで天に輝く星を見るように それぞれの胸に抱くキリストの光を見ることができる。
と聞いたとき。
なんだか、それならできると感じた。
愚かで、まだまだ学びの途中の私で、これからも迷って悩んで、へこんで、
そして喜んだり、感動したり感謝したりして
日常を生きていくのだけれど
そのなかで、天使のながめる星を持つ私でありたい。
と、思いました。
意志魂の時代の私たち。