学びと日常
海なし県の私は 海を見るとものすごく心が浮き立ちます。
この海は「伊豆」の海。
そして、緑と光と風と鳥の声…という 幸福な散歩道。
このGWに本当に久しぶりにリアルな研修に参加しました。
朝8:30~夜8:30までの集中のなかの、ひと時の緩和の時間
ありがたき~(#^^#)
研修に参加するにあたって…いろいろ考えました。
色んなことを思いますが、家族の理解と 十分な注意と、参加者の意識と貸し切りの合宿所という条件と…
コロナと共存する今後のことを踏まえて、学びを止めないことを選択しました。
向かう道中・・・星の王子様の狐との会話が心に響いていました。
「あんたが、あんたのバラの花をとても大切に思っているのはね、
そのバラの花のために、時間を無駄にしていたからだよ」
という言葉。
zoomを経験して、自分の”食わず嫌い”を体験して
そして、良し悪しを実感して、その上でのこの移動時間
この「無駄」な時間がどんなに自分にとって貴重な時間になるのか実感しました。
この研修は、自分にとってまるで「流れ」のようなもので、
「学びたい」という思いが1番でその後のことは深く考えないようにしているもの。
それに伴う、その先の展開や責任(?)のようなものを
あえて深く考えずに、今できることをするというスタンスをとっています。
自分にとって、どれだけ大切な学びになるのか…という予感はひしひしと感じ
その学びをすることができることにどれだけの感謝をしているか…困るくらいです。
なのに、あえて「決意」や「意識」をしないことを選択する。
私としては年齢とともに自分の変化をとても強く感じます。
私は、「こうでなければいけない」と、思い力が入りすぎるタイプで
バッチフラワーでいうところの「ロックウォーター」
そして、そのためにやりすぎてしまうことを気が付かない「オーク」
(そのほかにも、自分で気が付いていながらもなかなかバランスの取れないものは数多くあります(;^ω^))
でも学べば学ぶほど、余分な力が抜けていく気がします。
力を入れなくても、頑なに自分自身を誇示しなくても、自分の大切なものは守ることができる。
それに少し気が対からかもしれません。
今回の研修でも自分に向き合うたびに、へこんだりしていますが、
とりあえずなるべく客観的に見て自分自身を尊重するようにはしています。
といいつつ…できているかどうかは別として…意識の問題ですが(^-^;
このコロナの時代、世界は大きく変化・変容しています。
今まで当たり前だったことが、当たり前じゃなくなる。
そんな中で自分の中心を保ちながら、変化・変容していくことはなんと大変なことか…と思っていましたが
変化・変容せざるを得ない状況に世界が導いてくれているとも考えられる。
大きな痛みを伴ったこの変化・変容はを、私がどうむきあっていくのか。
なんて、荘厳な感じに聞こえるけど。
本当に大切なものを、日常の中で守って・育てていくことこそが、それにつながっていくんですよね。
ありがたい学びの時間から、日常にいるこの生活へどうやって生かしていけるのか。
日常に生かしてこそですもんね(^_-)-☆