ちょっとしたこと

梅雨寒の日になりそうです。

早めの梅雨入りの今年、この時期の雨がまだこのひんやりとした風とともにあり

何となくほっとした感じがします。

それでも、雨後は雑草たちの勢いがすごくなることが安易に予想され

伸ばし伸ばしになっている小さな庭の手入れもしなくては…と

思ったりしています。

 

先日「学びと日常」というタイトルで、少し書きましたが。

日常の中にある学び 学びの中にある日常…その二つを見比べてみても何となく違いがある…気がする

 

要するに、日常の中にこそ「行かされてなんぼ!」の学びであることは変わりがありません。

 

のその前に…「学べる」という幸せを、最近はつくづく感じています。

写真は、伊豆の新しいコースでの写真と、ビーンズで始まった継続のクラスの案内チラシ(惑星4回コースの初回)

バイオグラフィワークは、私の中で本当の大きな変化をもたらしてくれたもので、

アントロポゾフィーを深く学ぶにおいて、欠かすことのできないものであり

また、シュタイナーとは全く関係なくとも、それぞれの「気づき」において全く新しい気付きを

もたらしてくれる、最高のツールだと思います。

 

それでも、すぐさま日常に反映されることがとても少ないので

その場の体験でとても興味深い感覚があったとしても

日常の中に埋もれていった仕舞います。

 

なので、「つづける」という事には本当に『意志』の力が必用になるのです。

新しいクラスに続ける気持ちを伝えてくれ、そして、無事初回が開講されたとき

実は、本当にうれしくて小躍りするくらいでした。

だって、やらなくても、一見全然かまわないことですから。

 

でも、実は違うんです。

そのほんの少しの『意志』の力が、大きい変化をもたらしてくれるのだと信じています。

 

私たちの時間の経過は、日々の生活の中であっという間に過ぎていってしまいますが、

過去の「時間」は永遠になくならないし、未来の時間は、今の自分が創っていきます。

 

過去の自分が未来を作るのではなく

今の自分が未来を作ります。

 

なぜなら、過去の自分は、今の自分がその価値を決めているからです。

 

変えようのない事実があったとしても、その意味はどんどん変化していきます。

 

私が私を決めることができる「自由」を世界は許容してくれます。

 

日常の中の、ほんのちょっとしたことにもそれは映し出されていきます。

 

「続けること」

それが、とっても大切。

 

私が私である理由が 受容できたときに

なんだか新しいことが見えてくるかもしれません。

 

学びたいという思いが、人と人とをつないでくれて、出来事にもつながっていくように思います。

それは、私だけの力ではありえないほどの

奇跡と思えるような出会いをもたらしてくれます。

それを「霊的」とか「天使の力」とか言葉では表現するのでしょうが

そのためには日常を地に足を付けてしっかりと生き

地道な学びを淡々と続けられることが大切なんだと思います。

 

こんなことやってても…とかしょっちゅう思いますが、

アントロポゾフィーに出会いその学びを続け、日常を生き

そして、今のこの状況に感謝の思いがあふれてくるときに

今を生きることしかないなぁと思います。

 

バイオグラフィワークも

バッチフラワーも

ウォルドルフ人形も

シュタイナーの手仕事も…

私の中の感謝の表現になれると嬉しいなぁ