学びという日常 ~バイオグラフィワーク~
私のウォーキングコースの一宮の138タワーパーク
季節のお花がいつもきれいに咲いていて、お花の担当の方々が
丹精に整えていらっしゃるんだなぁと思いつつ
そこにあつまる鳥や虫たちの存在が、それには欠かせないのを
鳥の鳴き声や、虫たちの羽音や声・音で感じます。
虫は苦手なんですが…(^-^;
ポピーの花にたくさん集まってきているミツバチたちの様子を見るのは
なんだか応援したくなったり、応援されていたりする気持ちになりました。
先週末は、バイオグラフィワーク・ベーシックコース岐阜の4回目…モジュール2-1を開講いたしました。
写真は、メンバーが集まってくる日の朝
まだシーンとしているビーンズの様子です。
今回も学びの多い2日間となりました。
この2日間を過ごすために、みんなそれぞれいろんなものを調整し、調節してきます。
私もそうです。ワクワクの中にも緊張感があり、日常の中の非日常を味わっています。
バイオグラフィワークを学ぶものとして、
そしてバイオグラフィワーカーとして活動するものとして
その素晴らしさをどうやってお伝えしたらよいのかを
どんな言葉を使って表現したよいのかを迷います。
バイオグラフィワークという手法を使う・・・
学びを深めるごとに 自分だけでない”誰か”のそして”何か”の助けを実感します。
今、自分が生きていて、そして誰かとつながって、生活していることが
偶然という必然、その中での選択の繰り返しでできていて
人生の流れの中のつながりの一部として今を生きています。
その中にある 流れの必然性 自分の選択の中にある、まるで導かれたかのような繋がり、
それを意識して実感することは 物質よりも確かな存在として自分の中に生き続け
また新たな繋がりを呼び寄せます。
むかし、私が大好きだったお人形も飼っていた猫ちゃんも
よく遊んだ草むらも、10円を握りしめて買いに行った駄菓子屋さんも
もう今は存在していません。
その時は日常の一部で、特別に思っていなかったことは
今は、別の形となって私の中に確かに存在します。
そうやって思いを巡らすと、私の一部になっていたことの中にこそ
隠された真実があると気が付くことができます。
自分の感情が動くこと
ポジティブなことの中にもネガティブなことの中にも
『私』が存在します。
その『私』を私の側だけから見るのではなく
様々なアプローチから、無理なく見ることができるのです。
準備のできたことだけ…それは『私』が決めます。
そうして意識的になったことで呼び寄せた繋がり
既にあったものの中にある、気が付かなかった真実に気づきは
自分自身を肯定してくれます。
でもね、まずは体験してみないとわからないこともやっぱりあるんです。
たまごが先か ニワトリが先か🥚 🐓
わかんないものをまず知ってみるのに どっちが先かというより
エイっと飛び込んでみて知ってみる
私の場合は
自分の回りから固められて 流れに任せていたらやることになっていた…のか
やることになっていたから、周りを固められた…のか
🥚 🐓 🐓 🥚🥚 🐓🐓 🥚・・・・みたいな(#^.^#)
それは、自分で決めたような導かれたような両方のような不思議な流れが存在していました。
それでもね、
わかんなかったけれど 直感的に これを知りたいと思ったことと
わかんなかったけど始めたことを途中でやめられない、私の“質(たち)”があったのと
両方があったから、続けたいと思ったんだよね。
どっちかだけじゃなくて両方私には必要だったんだなぁと思います。
ビーンズはいつでも扉を開けています。
どうぞ、お気軽にお尋ねください。