焦らずでも確実に変化する

エーザイの薬博物館にあるミモザの花が満開です。

蕾ってこんなんなんだぁ(#^.^#)

と、可愛らしい姿に見とれていました。

 

今日3月8日は「国際女性デー」

“「国際女性デー」は、女性の社会参加や地位向上などを訴える日として、国連によって定められました。

この日イタリアでは、日頃の感謝を込めて男性から女性へミモザの花を贈る習慣があることから

「ミモザの日」と呼ばれています。また、ミモザが黄色い花であるため、

イエローが国際女性デーのシンボルカラーになっています”

 

ということ…。また

 

日本はジェンダーギャップ指数で下位…

女性の権利やジェンダー平等などはよく取り上げられているものの、いまだに根強い性差別が存在します。とくに日本は、世界経済フォーラムが公表するジェンダーギャップ指数で下位に甘んじるなど、女性と男性の格差が激しいとされている国です。

「ジェンダー・ギャップ指数2022」によると、日本の順位は146か国中で116位、前回は156か国中で120位でした。これは、先進国のなかでは最低レベルの順位で、アジア諸国のなかでも中国などより低い結果です。

参考:男女共同参画局

 

私たちの無意識の中に染みついているものも含めて、

これからは意識化に上げていかないといけないのだなと感じます。

 

というのも

バイオグラフィーワークの学びの中で「ダブル」といわれる、

自分でなかなか気が付かない隠れた コントロールできない部分について

考えていたばかりなのです。

 

「ダブル」とか「シャドー」とかいうと自分自身を苦しめる

とても怖くてつらいイメージでとらえますが

目に見えることや、自分で意識できることではない

自分がある種『善』としてとらえていたことと中にある”影”や”対極”

の中にあるものが、実は自分自身を狭め苦しめていた…そして

それを無意識に他者にも手渡していたのです。

 

これは、どちらがよくてどちらが悪いということで判断できない複雑さもあるのです。

 

もちろん、”性差別” ”女性蔑視” というあからさまなものはいうまでもありません。

 

でも、もう一歩踏み入れたところに、自分の問題としてかかわっていかなければいけないものもあるなと感じます。

 

たとえば…

私自身のことでいうと

『母の愛』はそのまま『愛』として、子どもたちにできる限りのことをしてきたつもりです。

でも、その中に

「お母さんだから」

という、私の固定観念を無意識のうちに愛情と共に手渡していっています。

その”当たり前”は私の”当たり前”なので 客観的に偏見や差別が含まれていないか…と問うと

過去の常識では当たり前であったことが、ジェンダーギャップとして存在していたという事実は否めません。

 

そういうことを「意識化」に置くのと

「そんなん当たり前じゃん そんなこと言って私がいったこと、したことが悪かったの?」

と、感情的になるのでは、少し話が違うのだと思います。

 

でも、過剰に反応しすぎることは違うとも思います。

愛情をもって…という基本はこれからも変わらないと思うのです。

 

私の中の気が付かなかった部分を受け入れるのに

私はバッチに助けられながら

そしてバイオグラフィーワークをしながら変化・変容してきたのだと実感しています。

もちろん3歩進んで2歩下がる適なところもありますが

ゆっくりだからよいのです。

 

すぐに変わる変化は、本当の変化ではなく衝動だと思います。

それを本当の意味で自分なんかに落とし込んでいくには時間がかかるのです。