ちょっとした決心

やっと秋が感じられるようになりましたね。

空の雲も秋らしいイワシ雲やひつじ雲がよく見えるようになってきましたし

朝の空気がとても気持ちがいいです。

ホッとしますね。

 

暑い夏を経て、思考もどんどんできるようになってきました。

そんな今の気持ちをつらつらと書いてみようと思います。

 

第3ムーンノードの余韻を引きずっている今年

生まれ変わると決心しました。

なんだか大げさな感じもしますが😓

 

とってもシンプルなので、余計に言葉にするのが難しいのですが

『自分も人も心から祝福できる人になりたい』

 

シュタイナー教育を知り、哲学を生涯の学びとすると心に決めてから

バイオグラフィワークと出会い

バッチフラワーと出会い

そして手仕事をただ伝え楽しむものだけではなく

瞑想のように心の奥底まで届く癒しとする

このことはゆるぎなく存在し

まるで導きのように私の中心となりました。

 

シュタイナーの7年周期を基礎としたバイオグラフィワークでは

とても難しいと感じていたシュタイナーの哲学=アントロポゾフィーを

日常の場で実感することができるようになり

事あるごとにいわゆる”アハ体験”をして

そのたびに「なんだこれ―――隠された秘密ってこういうことなの✨」と

一人で感動したりしているのですが。

それを感じるには、客観的に見ることのできるある程度の時間が必要になることも実感しています。

 

その実感のおかげで、せっかちな私が、

起こった出来事に「意味」を見出そうとすることを極力控えて

宙ぶらりんで「起こったことをそのまま受け止めるだけ」を心がけるようにしました。

 

それが意外にむつかしい…(;^ω^)

すぐに答えが欲しくなっちゃうんですよね

 

私も魂の成長を心から望んでいます。

それをなしうるには

人智を超えた力が必要とも言えますが

人間がそれを求めて生まれてそれぞれの場所にいることを思えば

ある意味当然ともいえる

 

当然ということでいえば、日常でくり返される出来事

意識にものぼらないような日常の出来事にどれだけ気が付いて

他者の「当たり前」との決定的な違いを

「ありえない」とか「信じられない」とか「普通そうでしょ」とか

そこで感情に支配されつつ 一呼吸置いた後に

思考に持っていくことができるかどうか…

私自身が受け止めるか 受け止めることを拒否するかどちらかなのだと思うのです。

 

もちろんこれをするには一方的なものでは何ともしがたいので、

相互のコミュニケーションがとっても重要になってくるわけですよね。

そしてそのコミュニケーションは実際にあってみることが

本当に必要なのだなと感じます。

 

日常のほんのちょっとして出来事…

ふいに起こる日常の中の非日常の選択を

私がどう行動するかで

ほんの少しの足の向き方で道はどんどん変わっていくのでしょう。

 

自分が”理解できない”と思うことを

”理解できないまでも、それは事実としてその人の真実なのだ”と

ぼんやりとでも思うことって、実は結構な思考の変革なんだと思うのです。

それでもそこに感情が大きく関係していたりすると

そんな事きれいごとだと思うでしょうが

もしかしたら、時間がたって見方が変わると思考できる日が来るかもしれないですよね。

可能性は0ではない。

 

困難の中にこそ成長があると、頑なさをもって信じていました。

それも本当の事だけれど

困難の中にしか成長の種はない…のではないということに

やっと素直に感じることができるようになってきました。

 

自分の幸せは自分で作るのだということが

この年になってやっと理解できるようになった

 

そう、理解できるようになってきただけで

まだ全然できない

 

私は自分を苦しめることもできるし

私は自分を救うこともできる

 

自分を本当の意味で信じることができれば

きっと自分で自分のことを救えるのだと

 

このことがすんなりとできる人もいる

私はすんなりとできない

 

まるで地べたを這いつくばるように

歯を食いしばってしまう根性を身に着けてきてしまった

 

そういう時代や環境を選んで生まれてきた

それがきっと必要だったのだろうと

 

光を理解するために

感謝を理解するために

必要な準備だったのだろう

 

その準備を無駄にすることなく

まだ全然できていない自分自身を本気で信じてみたい

 

いくつかはできていることもある

まず

私は運がいい

これは決定事項のように信じている

説明できないけれどこのことは私の中では確信がある

 

それなのに、

自分を信じ切ることができないとは・・・

人って不思議

 

これって私だけが思っていることではないですよね。

みんながそれぞれの”生”の中で精一杯生きながら感じていることを

私なりの言葉で表現しているだけで

みんなそれぞれ一生懸命自分の日常を生きている

 

そこにとっても大切な出会いがあるのですから

人との出会いも 物との出会いも 出来事の出会いも

きっと自分の無意識が望んでいるのでしょうね。

 

難しく考えすぎず

ビーンズで出会うことのできる幸せを感謝しつつ

これからも誠実に居つづけようとおもいます